人生には理由がある
vol.29
フリー芸人/誠子さん
フリー芸人/誠子さん
一人でいても何も変わらない。
自分の可能性も、素敵なところも
他の誰かが見つけてくれる
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コンプレックスの塊だった思春期
兵庫県神戸市で生まれ、2歳離れた双子の妹とご両親の五人家族で育った誠子さん。幼少の頃は3姉妹仲が良く、「美人姉妹」と周りの大人たちから言われていたそう。
しかし、思春期になると体型がぽっちゃりし始めた誠子さんは、スリムな双子との容姿の差や、思春期の男子特有のからかいなどから容姿が気になるように。「この頃はコンプレックスの塊でした。もうコンプレックス=誠子って感じで…(笑)」。周りから美人だとちやほやされる妹たちとの間にも距離が生まれ、高校に入学してから5年間、口をきくことはありませんでした。
家でも学校でもおとなしく、クラスメートもほとんど誠子さんの声を聞いたことがないほど地味な存在だったといいます。
進路を大学から一転。「絶対芸人になる」
そんな誠子さんを変えたのが、お笑いとの出会いです。大学進学に向けて塾に通い、受験勉強に励んでいた高校3年生の年末。誠子さんは偶然テレビで見た「M-1グランプリ」でのチュートリアルの漫才に衝撃を受けます。今までに見たことのない新しいスタイルの漫才に、普段ほとんど笑うことのなかった誠子さんが大笑いし、「人をこんなに笑わせて幸せにする芸人って、なんてかっこいいんだろう。私、絶対芸人になる!」と決心。それまで将来に夢も希望もなかった誠子さんですが、その瞬間、「目の前が明るくなって、未来が輝きだした」と話します。
それからは、漫才をただ見るだけではなく、ネタを文字に起こして、分析する毎日。ついにご両親に大学進学をやめてNSC吉本総合芸能学院に入りたいと伝えたところ、快く賛成してくれました。「両親はいつも私のやりたい事は全力で応援してくれました。それには本当に感謝しています」。
「うちとコンビ組めや」。尼神インター誕生
高校を卒業し、NSC30期生として入学した誠子さん。毎日が楽しく、わくわくの連続で、地味でおとなしかった学生時代からは考えられないほど明るくなりました。
「最初は全然ウケなかったですよ。でも人前でネタをできることが本当に幸せでした。夢が叶うことはもちろん素晴らしいことなんですけど、好きなことを見つけてそれに夢中になれるのって本当に幸せですし、人生に前向きになれる」。
一方、誠子さんと同期で入学した、後の相方、渚さんは、自身のネタ見せをせずに腕を組んで同期たちのネタを後ろから見ていたそうです。
「ネタはやらないのになぜか一目置かれていて。あの人何者?!って。それだけ渚にはオーラというか存在感があったんです」。
入学以来、誠子さんは何組ものコンビを組み、その中でも中国人の女の子とのコンビは、講師からの評価も高く、最高Bクラスに所属※。そんな、ある日突然渚さんに声をかけられます。
「“今のコンビ解散して、うちと組めや”って(笑)。びっくりしますよね。ほんまヤンキーですよ。当時からスカジャンを着てあの風貌でしたから、断ったらしばかれると思って、思わず承諾してしまったんです。でも、みんなから一目置かれている渚にそんなふうに言ってもらえて嬉しいって気持ちもやっぱりありましたね」。
ちょうどこのタイミングで当時の相方が中国に帰ることになり、コンビは円満に解散。尼神インターが誕生しました。
※NSCではお笑い芸人として売れる見込みが高い順に、Aクラス、Bクラス、Cクラスに分けられていた。現在このシステムは廃止。
コンプレックスを武器に変えて、人気芸人へ
“ブスキャラ”なのにいい女を気取る誠子さんに、“ヤンキーキャラ”の渚さんがツッコミをいれる漫才で尼神インターは初期の頃から高い評価を受けていました。しかし、若手芸人の活動の場である「baseよしもと」※2。毎日アルバイトをしながらお笑いに没頭する日々。好きなことに夢中になるうちにいつのまにか、容姿に対するコンプレックスはなくなっていました。
「毎日必死だったので人の目が気にならなくなっていたのと、嫌いだった容姿も武器の一つだなって思えるようになっていました。お笑いってコンプレックスやネガティブなところも全部笑いという形に変えてくれる。他の芸人からのいじりも“誠子を輝かせよう、笑いをとらせよう”っていうやさしい気持ちが伝わるから傷つくこともないんです。お笑いってほんとすごいなって」。
劇場では苦戦を強いられることもありましたが、地道な努力が身を結び、M-1グランプリでは準決勝に進出、ABCお笑いグランプリで決勝進出、全国ネットのバラエティ番組からのオファーも舞い込むようになってきました。気がつけば、週に5日東京に通う日々。尼神インターは、あっという間に売れっ子芸人の仲間入りを果たしました。
「30歳を機に上京してから2年半は365日仕事をする生活を続けました。何もかも刺激的で楽しくて生きがいを感じていましたね。本当に充実していました」。
※1:1999年に閉館した心斎橋筋2丁目劇場に続く若手芸人の拠点として、同年9月に開館。数々の人気芸人を輩出し、2010年閉館。
※2:baseよしもとでは、観客の投票によってライブなどの出場権が得られる。
16年のコンビに幕。フルスイングの挑戦
結成から16年が経った2023年の年末。順風満帆だった尼神インターは突然終わりを迎えます。解散を切り出したのは渚さん。
「ずっとコンビをやってきて、渚のことは夫婦のようにわかるんです。だから、びっくりしたし、悲しいという気持ちもありましたが、“渚が決めたことなら”って受け入れられました。渚はいつもネタを書いている私を立ててくれていたので、尼神インターでは渚のやりたいことが表現できなくなってきたのだと思います。お互い、好きなことをやるための解散だったんです」。
解散後、渚さんは吉本に残り、誠子さんは独立。あえて険しい道を選んだのは「大きなチャレンジがしたかったから」だといいます。一番のチャレンジを考えたときに「独立」という答えに行き着いたとのこと。「ここで思い切らないと、解散が悲しい出来事になってしまう。フルスイングの挑戦はやっぱりフリーになることかなって」。吉本からは何度も引き止められましたが、誠子さんの決意は固いものでした。
人との出会いを大切に、日本を元気にするのが夢
「フリーになってやりたいことに全部挑戦する」と決めた誠子さん。今は「誠子食堂」という看板を掲げ、イベントに参加したり、ライフスタイルブランド「merci」の運営など、お笑い以外の活動にも積極的です。芸人としても、自身でネタライブを主催するなど積極的に活動していくとのこと。
また、「地元を盛り上げたい」と話す誠子さんは、月に一度は神戸に帰り、料理イベントなどに参加。かつては確執のあった双子の妹たちとの関係も良好だそう。
「私が芸人になって明るくなった頃から普通に話すようになりました。あの頃は “妹に嫌われてる”“無視されてる”って思い込んで一人で勝手にいじけてたんですよね。後で聞くと“お姉ちゃんが私たちのこと避けてたんやん”って言われました。自分のことしか見えてないと、どんなことでも悪く受け取ってしまうし、自分の可能性は自分が一番わかってないんですよね。自分では気がついていない素敵なところを人が見つけてくれるんです。一人でいたらコンプレックスは一生コンプレックスのまま。だから、人との出会いを大切にしたい。そして目の前の人にやさしくすること。そうすれば、やさしい世界になる。私ができることで神戸はもちろん、日本を元気にするのがこれからの目標です」。
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誠子さんのお気に入りアイテム!
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スキンケアでは、ルクエのコンクとクリーム イン ミルクが特によかったそうです。「ふきとり化粧水を初めて使ったのですが、やっぱり全然違う!これはもう必須ですね。いろいろなふきとり化粧水があると思いますがこれは、余分なものはふきとって、大事なものは残っている感じがします。これからも絶対使います。クリーム イン ミルクは使った時の久々の感触に感動しました」。
「年齢と共にメイクに血色感が必要になってきた」と話す誠子さん。スタイリークのトーンアップベースはナチュラルにトーンアップすると気に入ってくださいました。「厚塗りはしたくないので、ベースの時点で仕込めるのがすごくいいです。自然と肌になじんでくれて、買い物くらいならこれとスタイリークのナチュラルプレストパウダーで十分。このパウダーもまったく粉っぽくならないのにちゃんとテカリを抑えてくれて、塩梅がいい。とっても使いやすいです」。
リキッドアイライナーに苦手意識があるという誠子さんですが、Vieta(ヴィータ) スタイリングフレーム リキッドアイライナーは「スルスルかけて失敗知らず」とお気に入り。「色味も優しいブラウンで、目を素敵に際立たせてくれて華やかになるけど、やりすぎ感がなくてちょうどいい」。
チークはVieta(ヴィータ) スキンブルーム チークスのコーラルを気に入ってくださった誠子さん。普段はピンク系を選ぶことが多いそうですが、「自分にこういう色も似合うんだと思えた色」と気に入ってくださいました。また、Vieta(ヴィータ) プロテクトヴェール カラーリップについても、「ディープレッドは本当に色が可愛くて、大好きです。すっぴんに塗っても、血色は良くなるけど浮かないし、保湿もしてくれるなんて最高です。どのアイテムもちゃんと肌のことを考えて寄り添ってくれるので、可愛いだけでは選べないお年頃の私にとってはうれしいです」。