
人生には理由がある
vol.24
イラストレーター/五月女ケイ子さん
五月女ケイ子/イラストレーター
覚悟を決めれば、きっと道は拓ける
イラストレーター/五月女ケイ子さん
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古き良き時代の映画に魅せられた大学時代。就職活動はせずに夢を目指す

山口県で生まれ、のどかな環境で育った五月女さん。両親は合唱団で出会い、日常生活で突然父と母によるミュージカルが始まるようなユニークな家庭であったそう。一方で「テレビはほぼNHKのみ」「ロックは禁止」と制限のある環境の中で、幼い頃から考え事をしたり、人の面白い部分を見つけて妄想をしたり、一人の時間が好きだった五月女さん。ですが、絵や作文で賞を受けたり、学級委員に抜擢されたりと意図せず注目を浴びることも多かったようです。
中学3年生のとき、父親の仕事の都合で横浜に引っ越し、高校ではダンス部での活動に明け暮れましたが、大学はダンスや歌とは違う表現を求め、美術学科へ進学。映画の脚本を書くため、映画研究部に入部します。それまで人気のハリウッド映画などにしか興味のなかった五月女さんは、部員たちの映画マニアぶりやその知識量に圧倒されながらも影響を受けていきます。その中の一人が生涯の伴侶となる現在、放送作家の細川徹さんでした。五月女さんは映研でさまざまな芝居や映画に触れましたが、特に琴線に触れたのが小津安二郎監督作品など60〜70年代の映画。「その時流行っていたダンスミュージックやコギャル文化とは対極の世界。発展途上で、未来しか見ていない無垢な美しさがあったんです。出てくる人たちの笑顔もすごくよくて、今の私の絵もとても影響を受けています」。
大学4年生になった五月女さんは、「人見知りなので、会社で普通に働く姿が想像できない」という理由から、なんと就職活動を始める前に断念。その代わりに毎日、もともと好きだったイラストを描くことを決めます。そうして描き溜めた作品を出版社に送ったところ、いきなり女性誌でレギュラーのイラストを描くことになり、大学卒業と共にイラストレーターとしての第一歩を踏み出しました。
“笑いってすごい!” 独自のスタイルで新たな境地へ

五月女さんが担当したのは美容ページのイラストで、指示されたモチーフをガーリーなタッチで描くというもの。「なんだか思ったのと違うなというのはありました。他にもお仕事はいただいていたのですが、あまり手応えが感じられず、イラストの仕事は向いていないのかなと思ったことも。それでもアルバイトよりはいいかなあくらいの気持ちでした」。
一方で、在学中にお付き合いを始めた細川さんは卒業後、放送作家を目指してフリーランスで活動し、二人はマンションの隣同士で生活をしていました。ある日、そのことを知った五月女さんの両親は激怒。五月女さんは泣く泣く実家に連れ戻されました。そんなとき、細川さんから「“徹子の部屋”の他の部屋がどうなっているのかというネタを出版社に持ち込みたいから、イラストを描いてほしい」と頼まれます。「主人は映研時代から面白いものをたくさん作っていたんです。私はお笑い番組になじみのない家で育ったので、彼の作品を見て“笑いってすごい!”って感動したのと同時に人を笑わせるものを作るのって本当に難しいんだなと感じていて、私には絶対にできないな〜って思っていたんですけど、挑戦してみたらすごく楽しかったんです。どんな場面や表情を切り取ったら、人が面白いと思う絵になるんだろうっていう角度から、初めてイラストに向き合いました。結局、徹子の部屋はテーマがテーマなので掲載は難しいということになったのですが、面白いねって言っていただいて、少しずつ仕事をもらえるようになりました」。この経験をきっかけに、五月女さんはイラストレーターとして独自のスタイルを確立していきました。

そして、「新しい単位」がベストセラーになると仕事がどんどん舞い込んでくるようになりました。「うれしくてどんな仕事も断らず、人が面倒だと思うことも手を抜かずに一生懸命にやろうって決めました。こんなことを言うと重いかもしれないんですけど(笑)、技術だけではなく、心を込めて描くとやっぱり伝わるということを感じたのもこの頃です。だから、スプーンは曲げられないけど、イラストには念力を送り込むようにしています(笑)。本当はゴミをゴミ箱に入れるのすら面倒だと思うタイプだけど、絵を描くときだけは近道せずに、人がやらないところまでしっかり心を込める。就活もせずにイラストレーターになることができて、順風満帆と思われがちだけど、イラストも向いてないって何度も思って、もうやめてビデオ店のバイトとかしようかな、なんて考えることもありました。でも覚悟を決めると急に頑張れるんです。夫の仕事がうまくいかなかったときも“私が稼ぐのであなたは好きなことをしていてください”って宣言して仕事に打ち込んでいました」。
子育てで大事にしているのは楽しむこと、そして子供に「好き」を伝えること

五月女さんには中学生の娘さんがおり、今でも毎日一緒にお風呂に入るほど仲がいいそうですが、仕事と子育ての両立は大変だったのではないでしょうか。「子供が産まれたことで、仕事のスタイルは変わりました。それまでどんな仕事も断らずなんでも引き受けていたのが子育てを理由に断れるようになって、やりたい仕事を選べるようになりましたね」。そんな五月女さんに子育てのこだわりについて聞くと「仕事も子育ても自分が楽しめないとできないですよね」とのこと。「だから家事を後回しにして、子供と遊ぶことに集中していました。お皿洗いは次の日にまとめてやるとか。あと、大したことはしてあげられないので、子供には日頃から“好き”って伝えようって決めていました。それくらいなら私でもできるから。そうすると子供も返してくれるようになったんです。最近は“生まれてきてくれてありがとう”って言ったら“産んでくれてありがとう”って」。子供を産んで初めて知ったのは「赤ちゃんの笑顔のすごさ」だそうです。「こんな表情があるんだ!って。昔感銘を受けた映画の笑顔ともまた違うんですよ。それまでも笑顔にこだわって絵を描いてきたつもりでしたが本当に勝てない。すごいんですよ、赤ちゃんの笑顔って。子供が産まれてからより幸せ感のある絵を描けるようになりました」。
イラストレーターやエッセイストとして確かなキャリアを築き上げた今、今後は「映画や物語に挑戦したい」そう。「物語を作って、いつかそれを世界に発信することが人生のなかでできたらなって思っています」。

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「毎日娘と一緒にお風呂に入って、そのまま寝るのでスキンケアのタイミングがないんです」と話す五月女さん。合間にさっと化粧水とクリームを塗るくらいしかできないそう。「でもせっかくの機会なので、しっかりやろうと決めました。正直、ふきとり化粧水までやる時間はないかもって思ったんですけど、実際にやってみると、わざわざ自分のためにこんな手間のかかることをやっているというご褒美感がありました。マッサージング パックもうれしかったです。3分置けばいいだけなので、その間歯磨きをすればルーティンに加えられそうだなって思いました」。

メイクはブラウン系のナチュラルメイクが多いそう。「ずっとヌーディーなメイクだったのですが、他の色も使ってみたいなと思っていたところです。そろそろ人生にも余裕がでてきたので顔で遊んでみようって(笑)。若い頃は暖色が苦手だったのですが、最近はフィットしてきた気がします。ピンクは目が腫れぼったく見えるかと思ったのですが、使ってみるとまぶたがふっくら見えて、ぱっと華やかになりました。こういう色使いは本当に新鮮で気分も変わって楽しいですね」。