人生には理由がある
vol.14 前編 アーティスト/仲万美さん
仲万美/アーティスト
自分と向き合うことで
見えた新しい世界
アーティスト/仲万美さん
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いやいや始めたダンスが、
いつしか心の拠り所に
違うクラスの姉も同様で、姉妹揃って注目を浴びることで、「大好きなお姉ちゃんに負けたくない。お姉ちゃんじゃなくてもっと私を見て!」と、いつしかそんなライバル心も芽生え、ダンスに夢中になっていきました。
しかし、その圧倒的な個性が仇となり、中学校ではいじめのターゲットに。思春期で家族にも心を開けず居場所がないと感じていた仲万美さんにとって、ダンスだけが心の拠り所でした。中学を卒業し、高校に進学するとそこでも人間関係がうまくいかず、すぐにドロップアウト。バイトを3つ掛け持ちしながら、ダンス仲間たちと深夜に集まり朝まで練習する日々が続きました。
「有名になりたいとか、ダンサーになりたいとかまったく考えてなくて、ただただ仲間と踊っている時だけが笑顔になれたんです」
マドンナのツアーに参加し、
一躍トップダンサーの仲間入り
将来のことは考えていなかったという仲さんの運命を大きく変えたのは、憧れのダンサーとの出会いでした。少しでも彼女に近づきたいという想いから、レッスンを受講。アシスタントを経て、ダンスユニットを組むまでに。数々のアーティストのバックダンサーとして活躍する動画がついにはあのマドンナの目に止まり、1年半にも及ぶワールドツアーに同行することが決定。トップダンサーの仲間入りを果たしました。
マドンナはもちろん、周りのスタッフは全員世界中から集められた精鋭たち。しかし仲万美さんは超一流のダンサーに囲まれても焦ったり、尻込みすることはありませんでした。
「身体能力も自己表現の仕方も全く違うので、比較しても意味がないんですよね。海外の人は大胆で華があるけど繊細できめ細やかな表現は苦手。勝負するところが違うんです」
ツアー中はマドンナのプロ意識の高さや仕事への向き合い方などを目の当たりにし、大きな刺激を受けた仲万美さんですが、同時にプレッシャーも相当なものでした。
「言葉がわからないストレスに加えて、マドンナの顔に泥を塗ってはいけないという重圧がすごくて。ダンスって自由で楽しいものなのに、義務や責任がついてきて、それでも“踊らなきゃいけない”って何?って。そんな気持ちで毎日毎日、何百回も踊るうちに、1番好きだったはずのダンスが1番嫌いになってしまったんです」
「ダンスしか知らないまま死にたくない」
キャリアを捨てて新しい道へ
ワールドツアーが終了し、帰国しても「もう、踊りたくない」という気持ちは変わらなかったという仲万美さん。マドンナのバックダンサーを務めたことで、ひっきりなしにオファーが来るものの、楽しんで踊ることは一切なくなっていました。それでも踊ることを辞めなかったのは、築き上げたダンサーとしての地位、実績、収入、そのすべてを捨てることが怖かったから。
「当時はもう言われた通りに踊るだけ。自分の意志もないし、ロボットみたいな感じ。未来なんて何も考えられませんでした」
安定した収入と引き換えにそんな虚無感を抱えながら3年弱を過ごした仲万美さん。受けた仕事はプロとして完璧にこなすものの、ストレスは相当なもので、ついに体に異変が起こります。自分の限界に気がついた仲万美さんは「ダンスを辞めよう」と決意。ユニットを解散し、逃げるように実家に戻りました。仕事としてのダンスではなく、昔の仲間と集まって踊ったり、生まれ故郷である熊本の地震復興支援のため、1ヵ月かけて九州を周り、ダンスイベントのゲスト出演や、専門学校の1日講師など、ユニットではできなかったことに挑戦することで、仲間と深夜に踊っていた頃のモチベーションを取り戻すことができました。しかし、そうした気持ちも長くは続きませんでした。
「どこにいても、マドンナや前身のダンスユニットの名前がついて回るんです。マドンナや前のパートナーは確かにすごい。でもじゃあ私は?もっと私自身を見てよ!って、思っちゃったんです」
もうこれ以上ダンスを嫌いになりたくない。仲万美さんが決意したのはダンスと距離を置くこと。マドンナもユニットも関係ない。踊りたい時に踊ればいい。お金なんていらない。仲万美さんはもう辞めることが怖くはありませんでした。
「とにかく新しいことがしたかった。新しい世界が見てみたい。ダンスしか知らずに死にたくない。そんな心境だったんです」